北名古屋市で生まれ育つ
1978年、愛知県北名古屋市(旧西春日井郡西春町)で誕生。
父は名古屋市西区で小さなこんにゃく・氷の製造販売店を叔父と共に営んでいました。
近所では「こんにゃく屋の娘」と言えば「あぁ、久ちゃん(父)の娘か」とすぐに判る程(笑)
幼い頃から人見知りをしなかった私は地域のお年寄りに可愛がられながら育ちました。
お転婆でいつも男の子と虫取りに出かけるような男勝りの女の子でした。
商業高校を卒業後、18歳で就職
愛知県内の私立商業高校を卒業後、データエントリーオペレータとして就職。
Windows95が発売され、パソコンが身近な時代に突入した頃でした。
データエントリーの仕事が少なくなっていくことを見込んだ会社の方針で、私は一般事務員として、三菱重工業エアコン製作所のシステム課に派遣されることに。
そこでWordやExcel等PCの基礎を身につけていきます。
宝交通本社、事務システム部へ
21歳になった頃、宝交通(株)本社の事務システム部に出向。
今思えば、これが私の転機となりました。
MicrosoftAccessやHTML、CSS等、諸先輩方に教えていただきながら略、独学で身に着けることができました。
その後、宝交通へ入社。
同社のHP制作やシステム開発、社内のパソコン講師を担当。
そしてこの時の「人」との出会いも今の私を支えてくれています。
24歳で結婚・出産
24歳で結婚を機に宝交通を退職。
その後、稲沢市で新生活をスタートし、2人の男の子を出産(年子)。
出産後も、パチンコ店の夜間清掃や食品工場の社員食堂、そしてパソコン教室のインストラクター等。さまざまな仕事をしてきました。
パート事務員として就職した先で、業務支援システムをAccessで構築したこともありました。
離婚・生まれ育った北名古屋市へ
35歳の時に離婚。息子二人を連れて実家のある北名古屋市へ移住しました。
「片親家庭だからって不自由な思いだけはさせたくない」
そんな思いで、収入アップを目指し、さまざまな業種のお仕事を経験しました。
・製造工場の事務員
・外壁塗装会社の営業事務・訪販営業
・リフォーム会社の営業
・賃貸管理会社の責任者
そしてこの時も、MicrosoftAccessでのシステム構築をします。
グレーゾーンに悩む日々
稲沢市から北名古屋市に移住したのは、長男が4年生・次男が3年生に進級する春でした。
次男の学校生活が急激に困難になっていきます。
毎日毎日、学校から電話がかかり、時には呼び出される事も。
学校から言われる言葉は「お母さん何とかしてください」
けれども、なんともしようがありません(苦笑)だって、家では至って問題なく過ごし、私自身は次男に何も困ることは無いのですから。何とか出来るなら何とかしてます。
児童相談所、社会福祉協議会、愛知県教育相談センター、心療内科、etc・・様々なところに相談に行きました。服薬もしました。でも、どうにもならない。次男は自己肯定感を失い、学校嫌いが益々加速していきます。私たち親子はどんどん追い詰められていきました。
営業の楽しさ、反面子供への罪悪感
「古民家鑑定士」を取る程、古民家好きな私は
新和建設リフォーム部での古民家改修リフォームの営業が楽しくて仕方がありませんでした。そして、頑張れば頑張る程結果が出る、お客様と直接お話しをし、提案し、一緒に何かを作り上げていく「営業」という仕事に魅力も感じていました。
そんな時、長男の担任の先生から1本の電話がかかってきます。
「授業中、ママとずっとお話ができていないと突然泣き出したんです。」
平日も夜遅くまで仕事をし、土日も仕事・・子供たちと過ごす時間が略無くなっていたことに気が付きました。
仕事を楽しいと思っている反面子供にさみしい思いをさせてしまっていた罪悪感が私の中でどんどん積もっていきました。そして、営業の仕事から離れる決心をしました。
再びIT業界へ
縁あってまたIT業界に戻ってくることになりました。
そこではじめてWordpressに出会います。
A君が教えてくれた厳しい現実
ある日、A君(25歳)が入社しました。
「母がようやく就職できたことをとても喜んでいるんです」そんな風に話してくれていました。
しかし、仕事をしている内に違和感に気が付きます。
彼は私に「実は発達障害があるんです」泣きながらそう告白してくれました。
社内で何度か話し合いをしました。ですが、残念ながら彼の特性をそのまま受けれいていくことは困難だとの結論に達しました。
彼が話してくれていた「お母さんがとても喜んでいるんです」そんな言葉が私の胸を深く突き刺し、同時に、次男に訪れるであろう数年後の現実を突きつけられた思いでした。
※入社前に知っていたら、きっともっときちんとしたサポートが出来たはずです。そして彼にはもっともっと彼の得意を活かせる仕事があると短い間でしたが感じました。A君がA君らしく生き生きと働ける場所に出会えることを今でも心から願っています。
迫り来る「息子の就業」問題。コロナ禍で考え始めた「働き方」
中学でまともに授業に出ることができなかった次男。何とか専門学校高等課程に進学します。
ですが、数年後にやってくる「就業問題」。
A君の出来事を目の当たりにしている私は息子の将来が不安で仕方がありません。
朝は新聞配達、昼間はIT会社で正社員、夜は飲み屋でアルバイト。
将来の貯えを少しでも増やしたくて私は必死で働きます。
そんな中、コロナ禍で飲食店は休業。
私も40代になり、常に感じる疲れ、体力の衰え、いつか来る限界。。。
このままではいけない!!!
息子たちの為に、両親の為に、自分の為に
私は起業を目指し始めます
主な経歴
Career
高等学校を卒業後、データエントリーオペレーターとして勤務。 |
三菱重工株式会社エアコン製作所総務部システムにてI/O及び一般事務を行う。 |
宝交通株式会社本社システム部へにて、MicrosoftAccesssによる社内向け業務支援システムの開発、HP制作、社員へのパソコン指導講師を行う。 |
結婚後、清掃業・飲食業・地元パソコンスクールにて講師、営業事務などを経験。 |
離婚後、建設業にて外壁塗装営業、新和建設(株)にて古民家改修リフォームの営業、賃貸物件管理会社にて総責任者などを経験。 |
名古屋市内のIT企業にてMicrosofutAccessによるシステム開発やWordpressによるWebページ制作に従事。 |
資格
Qualification
MOS EXCEL/WORD/Access エキスパート |
古民家鑑定士1級 |
平松 由花梨 -Yukari Hiramatsu-
1978年3月生まれ(A型)
高校生の年子男児の母。
趣味:ガーデニング・キャンプ・カラオケ
1人でカラオケBOXに行き6時間歌うのが一番のストレス発散法です。
好きな言葉は「やってみなくちゃわからない」「多分なんとかなる」